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こんばんは。
心霊スポットかどうか解りませんが、本日は「番町皿屋敷伝説」について。何せ地元なもので・・(汗)
番町皿屋敷伝説
以前「TVの番組」で「番町皿屋敷伝説」と言うをやっていたのですが、この「皿屋敷」伝説は色々な地域に有るみたいで ??
有名なところでは、
播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』(ばんしゅう-)
江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』(ばんちょう-)
のようですが、出雲国松江の皿屋敷、土佐国幡多郡の皿屋敷、さらに尼崎を舞台とした皿屋敷と幾つか伝説が有るようです。
実際「皿屋敷」の伝説がいつ、どこで発生したのか、「いずれが原拠であるかは近世( 江戸時代より)の随筆類でもしかとはわからないらしく、また簡単に決定できるものでもあるまい」とされているらしいです。
皿屋敷怪談とは、「お菊」とされる下女が、あやまって皿を一ツ井戸に落とし、その科により殺害させられ、その念が、ここの井戸に残り、夜ごとに彼女の声して、一ツより九ツまで、十を [言わずに] 泣き叫ぶ、声のみありて形無しとなり、よって皿屋敷と呼び伝えたものらしいです。
自分が子供の頃から聞いていたのは、この「お菊」さんは、平塚宿役人真壁源右衛門の一人娘で、怪談「番町皿屋敷」のヒロインと聞いてました。
江戸時代から当地に伝わる話は、小町と呼ばれるほど器量の良い娘さんだったそうで、行儀見習いのため江戸の旗本・青山主膳方へ奉公中、主人が怨むことあって「お菊」さんを斬殺したといいます。また、一説によると、主膳の家来が「お菊」さんを見染めたが、お菊さんが言うことをきかないので、憎しみの余り家宝の皿を隠し、主人に菊が紛失したと告げ、お菊さんは手打ちにされたとも言われています。
また、お菊さん 24歳、すみれが咲きだす旧暦2月の頃だったと言われています。
死骸は、罪人の例にならって、長持に詰められて江戸から平塚宿まで送り返され、馬入(現在の相模川河口)の渡しで、娘の遺体と対面した源右衛門は、「もの言はぬ 晴れ着姿や菫草」と句を詠んで悲しんだそうです。そして、先祖の墓側に埋め、処刑人の例にならって墓標をたてずに栴檀の木を植えたと言われています。
その後、昭和27年の秋、戦災地復興の区画整理のためにこの墓所が移転されることになり、空襲で焼けた栴檀のやけぼっくいの下を発掘したところ・・・やや小ぶりで歯並びの揃った頭蓋骨が出てきたそうで、小柄で器量よしだったという「お菊」さんを彷彿させる頭蓋骨だったそうです。
現在の「お菊塚は、平塚駅西口から徒歩約3分の紅谷町公園」にあります。
近くを昔は良く通ってましたが、やはり自分には霊感・・無いですね (汗)